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ジョン・ドラモンドの悲劇

パリで開かれている世界陸上で『悲劇』が起きた。

TVの『圧力』によって改定された新ルールによって、アメリカの選手がスタートもできずに失格になった。

彼はトラックの自分が走るはずだったコースに、大の字になって寝ころがって強硬に抗議したが、判定は当然覆らなかった。
新ルールによってつくりだされた『生贄(いけにえ)』が彼だった。
メディアは観客を巻き込んだ異例のパフォーマンスに注目したが、それだけだった。

新ルールの背景にある、スポーツとTVとの密接でしかも危険をはらんだ関係について、メディアは何も語らなかった。

『悲劇』は男子100メートル2次予選で起きた。
アメリカのジョン・ドラモンドはスタートで『2度目のフライング』を犯したと判定され失格した。
陸上短距離でのフライングによる失格は極端に珍しいことではない。
1996年のアトランタ五輪の男子100メートル決勝で英国のリンフォード・クリスティー(優勝候補に名を連ねるスプリンターだった)が
『2度のフライング』を犯して失格となった。

しかし、クリスティーとドラモンドの失格には違いがあった。
クリスティーは『2度のフライング』を犯したが、ドラモンドは『2度目のフライング』を犯した選手だということだ。
国際陸連は2003年1月からフライングによる失格のルールを改定した。それまでは、同じ選手が2度フライングをして初めて失格となった。
新ルールは最初のフライングがあった後は次にどの選手がフライングをしても、その選手は自動的に失格となる。

クリスティーも判定に対して猛烈に抗議したが、心の底では諦めていただろう。
『2度のフライング』を犯した選手は失格する。
そのルールは長く陸上界に定着していたし、ルールの背景にある理由についても選手はもちろんファンも納得していたからだ。

しかし、ドラモンドの失格については選手もファンも心の底から納得していない。
だから、ドラモンドはトラックに寝ころがってまで抗議したのだし、競技場に詰め掛けた観衆も競技進行を妨害した彼を支持したのだ。

陸上競技に限らずスポーツ界では近年、競技時間短縮を目的としたルール改正が目立つ。
水泳・競泳競技でも陸上競技と同様に、スタートに関するルール改正が行われた。バレーボールで導入されたラリーポイント制も狙いは同じである。

しかし何故だろう。
世界のスポーツ界は本来スポーツの”主役”である選手に不利益を生じさせてまで競技時間短縮に動くのだろうか。

すべては『TVの力』のためである。
スポーツイベントに巨額の放送権料を支払うTV会社の強い意向(要求)が働いた結果である。

国内、国外を問わず現代の大きなスポーツイベントはTVの『介在』なしには成立しない。
五輪やサッカーW杯において、IOCやFIFAはTV会社が支払う巨額の放送権料によって大会運営経費の多くを賄う。
TV放送があるからこそ企業も巨額のスポンサー料をIOCやFIFAに支払う。現場の競技場で直接的に観戦できるファンの数は極めて少ない。
多くのファンはTV中継を通して競技を『体感』する。
スポーツにおける『TVの力』は年々強まるばかりである。

スポーツとTVとの関係、
もっと正確に言うとスポーツイベントを主催する競技団体と選手、ファン、スポンサー企業とTVとの関係は五輪やサッカーW杯、
競技ごとの世界選手権など主要な国際イベントから、日本日本国内でのプロ野球、サッカーJリーグ、箱根駅伝などいわゆるアマチュアの大会まで、
基本的には同じである。

スポーツとTVとの関係が強まる。
主要なスポーツイベントは、TVによる生中継の前提がなければ成立しえなくなってきた。
この関係はスポーツがTVへの依存度を強めてきたことでもある。

スポーツにおける存在感を強めてきたTV会社は巨額な放送権料と引き換えにスポーツに口出しするようになってきた。

競技団体やスポーツイベントの主催者に様々な要求を突きつけることになる。
スポーツを生中継するTV会社にとって最も頭の痛い問題は
“競技時間が長すぎること”である。
あるいは競技時間が一定の時間の枠に収まるめどが立たないことである。
そのため彼らは競技時間の短縮、あるいは競技時間が番組表の時間枠に収まるよう要求する。

NHKでの放送以外、テレビの前のプロ野球ファンは試合を『完全』には観戦できない。
民放TVのプロ野球中継はほとんどの場合、試合途中で始まり試合終了を待たず終了する。
最近は放送時間を延長して対応するケースが増えたが、それでもゲーム終了まで放送できるとは限らない。
以前はスポンサーの”厚意”にすがってファンは延長枠のゲームを観るという、何とも情けない観戦を強いられていた。

TV会社の要求により競技の時間帯そのものを変更したケースもある。
ソウル五輪の男子100メートル決勝(カール・ルイスとベン・ジョンソンが対決したレース)は、なんとソウル時間の”早朝”に行われた。

アメリカのTV会社が地球の裏側にあるアメリカ東部時間のゴールデンタイムに放送できるよう、
競技スケジュールの変更を要求した結果だ。

TVへの依存度を強めてきたスポーツ、あるいはスポーツイベントを主催する競技団体はTVの要求を次々と受け入れてきた。
競技時間短縮を狙いとした陸上競技やバレーボールの新ルールはそうした背景から生まれてきたものだ。

もはやTVなしに主要なスポーツイベントは成立しえなくなってきた。
しかし、TVの要求を際限もなく受け入れてしまうことにはスポーツの本来の”主役”である選手とファンがないがしろにされてしまう危険性つきまとう。

パリの世界陸上での『ドラモンドの悲劇』はTVの力がもたらしたひとつの表象現象である。

スポーツはTVという巨大な『怪物』を抱え込んでしまった。
あるいはTVという『怪物』にとりこまれてしまったのである。